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音楽全般

言葉で表現しきれないのが音楽です

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 以前の記事で「秘伝のフルートの低音域の出し方」の詳しいことは記事にできないと書きました。書いても良いのですが、おそらく言葉ではちゃんと伝わらないだろうと思ったからです。言葉とは不思議なもので、同じ文章でも読んだ人によって解釈が違います。書き手側が意図の伝わりにくい文章を書いたりすることもあるのですが、読む側の読解力にも差があるのです。どちらにしても100%書き手の意図が読み手に伝わることはないと私は思います。

 言葉自体がそうなのに、音楽を言葉で表現しようとするのは尚更難しいと思います。プロの方で「音楽は言葉で表現できる」とおっしゃる方がいらっしゃるのには、びっくりしましたが…。

「音楽作りの過程で言葉が手助けになる」あるいは「言葉が音楽になる」ことはありますが、「言葉と音楽はイコールではない」と私は思います。

 たとえば、フルートを鳴らそうとした時に「脱力」という言葉を使います。これは指揮法のレッスンでも私の師匠が口を酸っぱくして言っていた言葉です。でもこれを勘違いして、力を全く入れないでフルートが鳴らなくなっている人もいるわけです。体格も良くパワーがあり余っている外国人ならともかく、普通の体格の日本人が力を全く入れないでフルートが鳴るわけがありません。実際は、

「身体が固いとフルートが鳴らないので、力を抜いて柔らかくした方が鳴る」

ということでしょう。自転車で言えばブレーキをかけながらペダルをこいでいたのを、ブレーキを放せば楽に走れるようになるのと同じということになります。でもそれだけでは自転車を速く走らせる(フルートで言えば遠鳴りさせる)ことはできません。やはり「力を入れなければダメ」なのです。言葉で表すと

「不必要な力を入れずに必要な力を入れる」

ということになります。これじゃ具体的にどうしたらいいかわかりませんよね。具体的に身体をどう使うかを言葉に表したとしても、全ての人が理想的な身体の使い方をできるようになるわけではありません。練習をしながら理想的な身体の使い方をマスターしていくしかないわけです。
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~ Comment ~

言葉で全部表現できてしまったら 

言葉で全部表現できてしまったら、音楽は要らなくなってしまいますからね。

力を抜く、というのはなかなか難しいものであると日々実感しています。私の場合、

指に力が入ってしまう
のどに力が入ってしまう

という傾向があります。どちらも、別の言い方をすれば、「体が硬い」「不必要な力が入っている」ということになるでしょうね。

のどに力が入ってしまうのは、本番の演奏で起こりがちです。つまり、緊張故です。自分で「ああ、のどを締め上げているな」と分かるのですが、どうにもならないのです。笛の時は、あまり起こりません。もっぱら歌うときに起こります。
指に力が入る話も、こちらで何度かしていますけれど、やっぱり分かっちゃいるけどなおらないものです。体のある部分に力を入れようとすれば、他の部分にも必然的に力が入ってしまうのは、生物としての人間の習性だと思います。そこを克服するのは、なかなか簡単なことではないと痛感しています。

NoTitle 

inti-solさん

そうなんですよね。人間って身体のどこかに力を入れると他の部分にも力が入ってしまうんです。これをコントロールするのは容易ではありません。必要な力が不足していたとしても「脱力」をこころがけた方が良い音が出るわけです。本番の緊張した時に「脱力」ができればいいんですけど、これがまた難しい…。
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