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指揮

指揮棒は魔法の杖?(エッセイ)

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 今は療養中で音楽活動をお休み中の指揮者の小澤征爾さんは、近年指揮棒を持たないで指揮をしていました。小澤さんとベルリンフィルとの演奏をVТRで見ると、奏者が小澤さんの手の動きに相当な注意を払っているのがわかります。そのせいか、小澤さんが「点」を打ってから、ベルリンフィルが音を出すまでかなりのタイムラグがあります。

 指揮棒を持つと指揮者の腕の動きが増幅されますので、奏者にとっては、その方が見やすいと思います。指揮棒を持たないと腕の動きが増幅されませんので、奏者は指揮者の方にさらに注意を払わなければなりません。それがタイムラグとなって現れるのでしょう。ですから本当は指揮棒を持った方が、音を合わせやすいと思います。指揮棒は指揮の動きを増幅しますから、下手な指揮だとその下手さが、より増幅されてしまいますけどね(汗)。

 指揮の奥深いところは、指揮者によって音楽表現がまるで違うものになることです。奏者は時として音楽を奏でながらも指揮者から音楽を教わることがあります。今のベルリンフィルは世代交代が進み、若い奏者が多くなったそうです。小澤さんは、カラヤンの直弟子ですから、ベルリンフィルの若い奏者にとってはカリスマ的存在なのでしょう。

 カリスマ的存在と言えば、私が真っ先に思い浮かべるのは、1980年の日本公演での、指揮者カール・べームとウィーンフィルの演奏です。これはDVDになっていますので、私は何度も繰り返し見ました。人によっては、この前の日本公演の演奏の方がいいと言う人もいます。正直に言って、1980年のべームの指揮は枯れていたかもしれません。でもその演奏には何とも言えない味わいがあるのです。ウィーンフィルのメンバーにとって、べームはまさしくカリスマそのものです。べームという人間の音楽を再現しようと必死になっているのがわかります。そこには指揮の技術を超越した何かがあるといつも感じます。

 抽象的な表現ですが、素晴らしい指揮者だと、まるで魔法にでもかかったように、素晴らしい演奏が出来たりするのです。技術と音楽は別のものという考え方もありますが、音楽をするために必要なのが技術なのであって、音楽とかけ離れた技術は、どこかおかしいのでしょう。指揮も技術が必要です。技術なんて関係ないと言えるようになるためには、技術を究めないといけないのではないでしょうか。

 旧ブログで書いたことではありますが、中島敦の「名人伝」という小説は、弓矢の名人のお話です。この名人、最後には矢を射る技術どころか、弓矢が何かもわからなくなってしまうのです。でもその前段階では、ものすごい技術を見せます。空を飛ぶ鳥を一回射ただけで何羽も射落としたりするのです。そのうちに弓矢を持たなくても鳥を射落とせるようになります。(まあ、フィクションですから)まるで魔法ですね。

 音楽の世界も、朴訥とした指揮でもオーケストラがものすごい演奏をすることがままあります。そのオーケストラは下手な指揮者でも、ものすごい演奏をする訳ではありません。カール・ベームの1980年の指揮は、朴訥としたものだったかもしれませんが、それ以前の彼の指揮はかなり厳格なものでした。

 私が指揮をする時は、故櫻井先生の設計による指揮棒を使っています。特に大事にしているのは、櫻井先生から直接いただいた指揮棒です。これを使って指揮をする時は身が引き締まりますし、自分が持っているもの以上の音楽が指揮棒の先から出るような気がしています。私は今のところ、指揮棒の力を借りないといけない指揮者なんでしょうね。

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~ Comment ~

 

こんにちは

たかさんが大事にしている指揮棒を見てみたいです

Re: タイトルなし 

よっちゃんさん

> たかさんが大事にしている指揮棒を見てみたいです。

 それでは、写真に撮って近々記事にアップしますね。お楽しみに~。
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